パスカルの葦笛のブログ

クラシック音楽のテレビやFMの放送からその演奏を視覚(楽譜)で再現します。後から読むだけでどんな演奏だったか理解出来ます。

エコーの「バラの秘密」とラトルの「大地の歌」の関係

ラトルのマーラー交響曲「大地の歌」第四楽章「美について」の解釈が傑出していた。「美について」なら、さぞ美しい解釈にしなければならないだろう。そこをラトルは諧謔性(ユーモア)と解釈して徹底的にデフォルメしたのだ。


今夜のNHKFMのベストオブクラシックはサイモン・ラトル指揮チェコ・フィルで、マーラーの交響曲「大地の歌」の演奏であった。(2019・3・11)


ラトルは何故極端なデフォルメに出たか。エコーの「バラの秘密」を知っているのだ。アリストテレス美学はギリシア悲劇論だが、実は続編が喜劇論であったという。ローマ教会はそれを伏せて修道院図書館に封印した。それが露見して連続殺人事件が起こった。殺人事件を解明してゆく過程でアリストテレスの喜劇論という本の存在が分かってくる。


つまり美学の本質は喜劇だというのがミソで、これを受けたラトルは、「美について」の演奏を従来は悲劇論で解釈したが、喜劇論で解釈したというわけである。


第四楽章「美について」。
1-3小節からラトルは極端なラレンタンドで演奏させた。


ラトルとしては珍しい演奏である。


美は喜劇だという説はエコーの小説のテーマなのだが、マーラーもそう考えたところが凄いわけである。とりわけイタリアでは喜劇の伝統があり、人間本質は喜劇の方がふさわしいというのがあるのだろう。


マーラーは中国人を目撃していて、中国語の可笑しさを見ていて、この交響曲全体に中国語の揶揄が聞こえる。


4の全体がラレンタンドでテンポが落とされ、最後の3小節は巧妙にテンポが伸縮して演奏されている。


ここが演奏の白眉になっていた。


そして16-2から17の前まで、ラレンタンドでテンポが落とされた。


「美について」の考え方が、マーラーとエコーとが同じ考えで、喜劇論であったということに、ラトルが共鳴したのが、この傑出した演奏を引き出したのである。