パスカルの葦笛のブログ

クラシック音楽のテレビやFMの放送からその演奏を視覚(楽譜)で再現します。後から読むだけでどんな演奏だったか理解出来ます。

バックハウスの放埓なカデンツとベートーベンのピアノ協奏曲第四番

今回の(12・4)の「バックハウス変奏曲」では珍しくベートーベンのピアノ協奏曲第四番が全曲放送された。それで、何故全曲なのかと考えた。どうもそれは放埓なカデンツにあったらしい。もちろんバックハウスの自作のカデンツなのだが・・・。


さて、この四番は、ベートーベンのパトロンのロプコウィッ公に献呈され、一説には彼自身がソロ・ピアノを弾いて初演されたという。ベートーベンはロプコウィッ公のピアノの腕前を考えながら、テクニックは無いながらピアニストとして聞き栄えがするような音が出るように作曲したというのだ。つまりアマチュアのピアニストでも弾ける難易度の低いピアノ・ソロのスケールになっている。


第四番はバックハウスのお気に入りの曲であった。鍵盤の獅子王と言われたテクニシャンとしては、人後に落ちる話だ。テクニックではなく、音楽の方が気に入ったのであろう。


そこで第四番の録音の話となって、大好きな第四番を録音するのはいいが、鍵盤の獅子王としては腕の見せ所がない演奏になってしまう。人後に落ちないには、カデンツで鍵盤の獅子王の腕前を見せようということになった。ロナルド指揮ロンドン響の録音(1930年代)は、バックハウスのカデンツが見所となった。そして録音中の即興演奏だったと推理するのである。だからこそ一期一会の絶対再現出来ない放埓なカデンツの妙が、古い録音の価値となっているのだ。


第一楽章、冒頭のピアノ・ソロが弾かれる。


バックハウスは、2小節が終わる所で大きく間を開けて、3小節の四分音符と二分音符をタイで連結して1つの音にしているのが面白い。一般には異なる和音だから違う音に聞こえるはずである。スラー記号だからそうなる。もっともシュナーベルは2つの音を切って弾いている。いずれにしてもバックハウスは独特な解釈をしている。


第二楽章。
346小節にもカデンツがある。


勿論バックハウスは自作のカデンツを弾いているわけで、あらかじめ作曲しておいたカデンツの演奏ということになるわけだが、指揮者のロナルドと話し合いの上で、バックハウスの即興演奏ではないかというのが小生の見立てである。とても楽譜に起こして音符に出来る代物ではないのだ。ここに19世紀人バックハウスの人間性を見るわけだが、どうだろう。
 ところで此処でチャールズ・ローゼンが自作のカデンツを披露しているわけで、こちらはあらかじめ作曲して楽譜が存在すると見た。20世紀人ローゼンのセンスであろう。


第三楽章。
499小節にカデンツがある。



バックハウスの自作のカデンツが披露される。もちろんここもバックハウスの即興演奏だったという見立てである。あまりに放埓な演奏は採譜不可能ではないか。


なお550小節以降で、シュナーベルやバドウラースコダはテンポを落としている。



バックハウスはこの絶妙なポジションで、美味しい所で指を食わえて素通りしてしまっている。お笑い芸人はいじられて美味しいと感じる。明石家さんまはいじってやったのに、スルーした芸人は二度と呼ばないという。
 カデンツで全精神を消耗し切ったバックハウスは、こんな所で道草を食うわけにはいかず、コーダまっしくらに走り抜けるしかないのだ。そういう切迫した真剣勝負を感じる演奏であった。