パスカルの葦笛のブログ

クラシック音楽のテレビやFMの放送からその演奏を視覚(楽譜)で再現します。後から読むだけでどんな演奏だったか理解出来ます。

ベートーベンの指揮弾りを彷彿とさせたリシエツキ指揮アカデミーの第二番

ベートーベンはピアノ協奏曲第二番を指揮し弾いたわけだが、リシエツキはアカデミー室内楽団を指揮してピアノを独奏した。それはまるでベートーベンを彷彿するものであった。


今朝のNHKFMのクラシックカフェは、若手ピアニストのヤン・リシエツキ指揮とピアノでアカデミー室内管弦楽団の放送があった。


小沢征爾のドキュメントで、タングルウッド音楽祭でやったベートーベンのピアノ協奏曲のリハーサルがあった。ピアノはルドルフ・ゼルキンで、この曲はボヘミアの民謡が引用されているのだというゼルキンのエピソードが紹介されていた。


その時は気づかなかったが、重要な発言であった。


1 ピアノ協奏曲第二番は1793年に作曲された。(WoO6ロンドが第三楽章)
2 1794年夏、ハイドンのパトロンのハンガリー貴族エステルハージー侯に招かれ
  て邸宅に滞在した。
3 1794-95年、ピアノ協奏曲第二番第三楽章ロンドが作曲された。
  (1のピアノ協奏曲第二番第三楽章WoOロンドが削除された。)
4 1795年3月29日のウィーンで音楽協会慈善音楽会でベートーベン自身で初演
  された。


この初演は、現行の第三楽章であったとされている。ベートーベン自身によって削除された第三楽章ロンドは、不出来な作品と見なされた。死後全集で拾われて印刷されたが、ケンプはわざわざ自分で録音している。既存のケンプ第二番の演奏とこの録音と差し替えてカセットで愛聴しているのだが、いわば私家版ピアノ協奏曲第二番にしている。同じケンプが演奏しているので、そん色がないと断言出来る。


そこでルドルフ・ゼルキンの発言が生きてくる。
なぜベートーベンは新しいロンドを作曲して、旧ロンドを削除したのか。そこがボヘミア(ハンガリー)民謡に関係する。彼はご当地ソングを入れた新ロンドを作曲して、ハイドンの後任のエステルハージー家の楽長の就活をしたのではないのかという疑問だ。なおかつ初演は1794年にエステルハージー家のオーケストラであった。(新ロンドの作曲とボヘミアのエステルハージー家滞在が同時なのだ。)見事図星で大喝采で成功して、エステルハージー侯の支援を得て、1795年の音楽会が出来た。


この見立てはいかがだろう。


従来第二番はモダン・オーケストラで演奏されたが、アカデミー室内管弦楽団のサイズがエステルハージー家のオーケストラのサイズと同じように聞こえて、それがいい。


第一楽章。
ヤン・リシエツキはアゴギークの技法には至らないのだが、その代用はしている。


57小節の第一バイオリンで、2拍目からPP記号になっているが、1拍目からppで演奏させた。リシエツキはダイナミックスの指定があると、どうもその前からやる癖があるようだ。将来の才気と言えようか。


176-7小節のピアノ・ソロで、176小節からデイミヌエンドを掛けて弱音にして、177小節でfに転じた演奏は素晴らしいものであった。



ベートーベンのピアノ協奏曲第二番が、もしかしたらハイドン由来のエステルハージ侯のオーケストラで初演されたのではないかと思えると、伴奏は小規模オーケストラだと目から鱗が落ちるにふさわしい演奏になった。


余談だが、ピアノ協奏曲第二番新旧2つのバージョンのCDも有りだな。