パスカルの葦笛のブログ

クラシック音楽のテレビやFMの放送からその演奏を視覚(楽譜)で再現します。後から読むだけでどんな演奏だったか理解出来ます。

スクロバチェフスキ指揮NHK交響楽団のブルックナー交響曲第八番(2)

この人が本当に注目され始めたのは、ザールブリュッケン放送交響楽団の指揮者になって、ブルックナーを録音しはじめた頃だ。それまではセル直属の強腕なオーケストラ・トレーナーという能力である。そういう生活に終止符を打って、格落ちの地方オーケストラの指揮者になったのは、自由が効くからで、そこで本当は腹に貯めていた一物を開陳したかったからだ。


アメリカでは叶えられなかった腹の一物とは、思い切りロマンティックな演奏をしてみたいということだ。自分は合理主義者ではなくて、ロマン主義者なのだという鬱憤であった。2011年、20年ぶりでベルリン・フィルに招待された時、ブルックナーの交響曲第三番を演奏して、絶賛された。図星だった。


第二楽章。
102小節のフルートで、スクロバチェフスキはラレンタンドを掛けて、テンポを次第に落とした。こういうアメリカでは絶対許してくれない演奏をしたかったのだ。


ここでラレンタンドしたのはスクロバチェフスキの独創であろう。


131小節の第一バイオリンで、楽譜mfをfで演奏させた。137小節から低弦をmfをfで演奏させた。楽譜にないダイナミクスの変更も大胆にやる彼になっていた。


180小節のテインパニで、彼はffで強奏して、181小節の楽譜のff記号を無視したが、何故それが待てないか、その方が効果的ならば楽譜などは無視だ。それがアメリカのスクロバチェフスキと、ヨーロッパのスクロバチェフスキの違いであった。


トリオに入る前で、彼は194小節のテインパニに、大胆なクレッシェンドを掛けている。


こういう大胆な解釈がスクロバチェフスキの晩年の演奏を支えたテクニックであった。最後の締め括りの4分音符にも強いアクセントを掛けるのを忘れなかった。(アメリカにいたスクロバチェフスキは楽譜を忠実に演奏すればよかったのだ。)


さてトリオの終結部でテンポを落とすといった伝統的な解釈にも目を見張るものがあった。


こういう伝統的解釈を忘れなかったスクロバチェフスキは、本当はポーランド=ドイツ圏に属する正統的な音楽文化を継承している正統派なのだという自負があるのだろう。


アイデンティテイを忘れなかったという自覚がブルックナーの演奏にひしひしと痛感するのである。