パスカルの葦笛のブログ

クラシック音楽のテレビやFMの放送からその演奏を視覚(楽譜)で再現します。後から読むだけでどんな演奏だったか理解出来ます。

スクロバチエフスキ指揮NHK交響楽団のブルックナー交響曲第八番(3)

先に読響が手をつけ、後でN響が大きく育てる。この手がバント、スクロバチエフスキであった。そう考えると読響には相当のプロモーターがいることになる。しかしいかんせん民間は即戦力で、大きく育てる時間がない。フランスではもう終わった人のジャン・フルネを都響は実に大きく育てたものだ。ノイマンなどは年金がもらえる年になったら、すっかり楽壇を引退してしまった。音楽がよほど辛かったので、年金をもらったら二度と会いたくなかった。労働は苦役と考える欧米人の典型であった。


ベネチアのガラス職人は労働苦役説の例外で、レビ=ストロースは日本人が労働に快楽を発見するのを見て、欧米人の例外を発見しようとした。バント、スクロバチエフスキ、フルネらは引退後日本で労働することが楽しくてしかたなかったらしい。


第三楽章。
78小節の第一バイオリンで、スクロバチエフスキはデミヌエンド記号に付いた所で、4つの8分音符3つ目でpにしたのがクナッパーツブッシュ(ミュヘン・フィル)、4つ目でpにしたのがスクロバチエフスキである。


さて、209小節前、この箇所でハース版が10小節初稿から追加している。


スクロバチエフスキはあっさりハース版はスルーしている。
彼はハース版信仰者でないので、盲目的に追従しないのだそうである。基本的にはノバーク版の愛用者なのだそうである。


とはいえ、いよいよシバルの入る240小節前後にやってくると、スクロバチエフスキは古臭いロマン主義者に変身する。


6小節にわたって彼は延々と古臭い様式のデフォルメを、現役指揮者としては最大限自由に解釈してはばからない。
ここがある面では彼の演奏の頂点になった。
 238小節の最後の2つの4分音符と139小節の符点2分音符にリタルダンドを掛けてテンポを極端に落とした。
239小節の最後の4分音符と240小節の4つの四分音符は2分音符の長さに延びばられて演奏された。だいたい楽譜の二倍の遅さに落とされたと言っていい。
そして243小節前後にさらにリタルダンドを掛けた。これでもかこれでもかという二重の駄目押しをするから、これはたまったものではない。
 現役指揮者としては最大の悪行ではなかったか。それは裏を返せばこのうえない至福の楽興の時ともなった。人にとっては耐えがたい苦痛は、快楽の裏返しでもある。
 そういうことは凡百の音楽家には出来ない技で、そういう技を素直に楽しめばいい。