パスカルの葦笛のブログ

クラシック音楽のテレビやFMの放送からその演奏を視覚(楽譜)で再現します。後から読むだけでどんな演奏だったか理解出来ます。

スクロバチエフスキ指揮NHK交響楽団のブルックナー交響曲第八番(4)

水上勉のところに村松友視と嵐山光三郎が原稿をとりに行った。水上勉は村松が原稿にさらさらと手を入れるのをニコニコして見ている。次に嵐山の番になって、同じように原稿に手を入れようとすると、鬼になって「阿呆か」と言った。天下の幻冬舎の見城徹は勝手に石原慎太郎(100万部)や五木寛之(100万部)に手を入れる編集者で有名だ。吉村昭(1万部)はかねてよりコラボしてみたいとリクエストしていたらOKが出た。原稿を取りに行くと、例のとうり見城はさらさらと手を入れようとした。吉村は烈火の如く怒り出した。100万部は出したいが、純文学に手を入れるとは何事だ。


さて、ブルックナーは第四楽章を作曲している時、弟子のレビが交響曲第七番第一楽章の第二主題の引用に気づいて、「使い回しだ」と余計なことを言い出した。それが気に触ってブルックナーはあっさり削除してしまった。ハース版は初稿に立ち戻って、この削除を復活したのである。(ちなみにスクロバチエフスキは復活させている。)弟子たちは削れ削れと、師匠の易きに流れるのを食い止める。長過ぎては聴衆は飽きる。如何にコンパクトに縮めるか。後世の人はこれを悪い弟子だと罵り、何で名作を汚すのかと怒る。


名作と確定した後は断簡零墨すら尊いというのがハース版である。そんなことでは人に聴いてもらえないというのが、レビや見城徹ではなかったか。


第四楽章。
158小節の管楽器にラレンタンドを掛けたのがフルベンとスクロバチエフスキであった。


弦楽器で旋律線を維持して最後の2つ4分音符にリテヌートを掛けたのがクナで、処理の仕方をめぐって二分されるようだ。


463小節前後の楽譜には、ritard.a tempoの記号が印刷されている。彼はここでは小さく表現を与えて、478小節の金管で強調した。


ところでスクロバチエフスキはハース版の採用は2か所で採用しているが、交響曲第七番からの引用の復活を見てみたい。


ノバーク版の564小節にハース版の復活があるのだが、その起源となった交響曲第七番第一楽章の第二主題と、それを引用した初稿版の楽譜を見ると、瓜二つである。


なるほど復活させたい意図は理解出来る。ハース版に利あり。