パスカルの葦笛のブログ

クラシック音楽のテレビやFMの放送からその演奏を視覚(楽譜)で再現します。後から読むだけでどんな演奏だったか理解出来ます。

ベートーベン交響曲第七番とウィーン民謡の引用(解答編)

今週は色々なことがあった。ベートーベンの話、亡くなっ皆川達夫さんの話。


まずベートーベンの話には決着がありました。
実はクラシック・クロスオーバーというクラシック音楽に歌詞を乗せて親しみやすい音楽にしたというもの。ベートーベン交響曲第七番第二楽章に歌詞を乗せて、イギリスの歌手が歌ったものであることが判明しました。



イギリスの歌手サラ・ブライトンのアルバム「ラ・ルーナ」の第四曲「フィリオ・ベルドゥート」というものでした。(TOCP-65467)興味がおありでしたら一度お聴きください。


残念でした。


さて、NHKEテレで、「宗教の時間・こころの時代、宇宙の音楽が聴こえる」(2005年)再放送があった。4月19日ここに登場した音楽評論家皆川達夫の追悼番組であった。享年92歳であった。


さる3月29日まで「音楽の泉」を担当していたというのだから驚きである。わずか一か月弱で永眠ということになる。


1950年代にフルブライト留学生だったことを知った。戦後のどん底にアメリカ生活を体験したというのだから、垢ぬけた身なりはその時に身に着けたものだ。


この人が潜伏(隠れ)キリシタンの念仏オラショが「グレゴリオ聖歌」だったと発見した。1600年代にグローバル化があって西洋音楽が世界中に伝播した。


高野山の寺院で唱和される仏教寺院の念仏がまた「グレゴリオ聖歌」でもあったことが発見された。これは西欧のグローバル化ではなくて、西域の音楽が洋の東西に分かれて、ヨーロッパで「グレゴリオ聖歌」になり、高野山で念仏になった。


ギリシアのミロのビーナスが、ヨーロッパでキリスト像マリア像になり、奈良で東大寺の大仏になった。グローバル化であった。何度もグローバル化を経験しているのだ。


もっと面白い話は中世音楽のポリフォニーの話である。声の種類は皆平等に扱われ、特別扱いがないのがポリフォニーであつた。それは天国では人間皆平等とい思想の現れでもあった。これが発達して主題と伴奏に分かれたのがホモホニーで、バッハ以降の音楽であった。音楽には主役がいてその他が伴奏をする。


そこで思い出すのは、バフチンのドストエフスキー文学はポリフォニーで出来ている主張だ。ポリフォニーで出来ているという意味が分かった。登場人物全員が同等の価値を持って登場する。力点や強調は無いのだ。端役もない。ドストエフスキーは近代化、ヨーロッパ化に反対した。それは何一つ人間を幸福にしない。ポリフォニーの世界に幸福を見た。