パスカルの葦笛のブログ

クラシック音楽のテレビやFMの放送からその演奏を視覚(楽譜)で再現します。後から読むだけでどんな演奏だったか理解出来ます。

スメターチェックの激流に飲み込まれたモルダウ

ヨーロッパ人が日本の川を見て、ヨーロッパでは滝だよと絶句したという。それほど流れが速い。スメタナの交響詩モルダウでは、これほどの激流の演奏を聴いたことがあったろうか。ヨーロッパにも激流はあるわけだ。「聖ヨハネの急流」と表題が付されているが、スメターチェックは激流で表現した。皆さんもスメターチェックの激流に飲み込まれて欲しい。


今朝のクラシックカフェの再放送は、スメタナ作曲交響詩「モルダウ」をスメターチェック指揮チェコ・フィルの演奏で放送された。(1980年録音)


ほとんど無作為で演奏されていくが、「聖ヨハネの急流」から激変する。



271小節のテインパニのsfをスメターチェックは、独特な感性で処理した。パーカッションもそれに従って強奏された。
275,279、283小節のテインパニもスメターチェックならではな独特の処理がされている。
引用した287,288,289、290、291,292、次頁の293、294小節の1小節ごとのテインパニは切られてその度に刺激が生じて、モルダウ川が今此処で激流に変化しているのだろうことは容易に想像出来るのである。彼の独創的な解釈だ。


スメターチェックだからこそ、急流を激流に変えた。そういう名場面である。


この場面があるからこそ、力を温存して演技を控えていたことになろう。387小節以下の(sf)の記号は、スメターチェックは明確にsfで演奏させている。


さて交響詩はコーダになると、絶対アゴギーク(伸縮)をやらなかったスメターチェックはも、さすがに421小節からポコ・ラレンタンドで演奏が落ちてきた。



422小節後半でラレンダンドにして急速にテンポは落ちるのであった。そして最後の3つの音符でリタルダンド(段階的なテンポ落ち)にしてモルダウ川がたゆとう本流と合流して、泰然とした大河に飲み込まれるのであった。
ここでテンポが落ちるのはチェコ人としては落ちないのが嘘になってしまうわけだ。


スメターチェックの激流のモルダウの演奏であった。