カイルベルト指揮N響ハイドン交響曲94番「驚愕」
ドイツの古い世代の指揮者は、シラーの「素朴文学と感傷文学」の定義があまりに素晴らしいことから、一種の呪縛となって躓き石となっている。古典主義とロマン主義に対するアプローチには異差があって、古典主義には感情を希薄に、ロマン主義には感情は爆発させて表現する。音楽にも適用された。モーツアルトをワルターのように情緒過多に表現するのは明らかに逸脱している。そういう観念が支配していた。カイルベルトもその例外ではなかった。彼の一番の弱点が古典派の音楽で、ハイドンとモーツアルトはシラーの美学から導かれたのである。
今夜のN響ザレジェンドはカイルベルトで、古典派の音楽であるハイドンとモーツアルトが取り上げられた。ここは1968・5・14に演奏されたハイドンの交響曲94番「驚愕」を見たい。
第一楽章。
75-80小節で珍現象があった。
カイルベルトは、75小節のオーボエで、ten. を16分音符4つで前半と同じように演奏させているのだが、78小節の ten.では4分音符を吹かせていた。そして80小節では16分音符を4つまた吹かせている。
単なる異なった版の楽譜の違いなのだろうか。
第三楽章。
12小節の低弦でカイルベルトはクレッシェンドをfにした。
ドイツの大方の指揮者はfにしているようだ。これはロマン主義への接近である。
第四楽章。
コーダの終わり方も265-266小節で、楽譜はfなのだが、pに弱めている。
fからffに増大させて終わるより、fをpにした方がffは一段度効果的ということか。
先人としてはフルトベングラーがそうしている。カイルベルトはその影響か。そうなると古典派の音楽は素朴に表現するという趣旨は崩れて、ロマン主義になってしまう。
ところでカイルベルトのモーツアルトだが、テンポの伸縮もなくインテンポで押し通していた。ハイドンもインテンポだ。シラーの美学の影響が露骨に表れていた。
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