パスカルの葦笛のブログ

クラシック音楽のテレビやFMの放送からその演奏を視覚(楽譜)で再現します。後から読むだけでどんな演奏だったか理解出来ます。

シューマン交響曲3番ライン下野竜也指揮NHK交響楽団

このオーケストラでシューマンの交響曲3番の名演というと、サロネン(1990年)の指揮が印象深い。楽団員の冷ややかな態度と熱気溢れるサロネンの指揮振りとの余りの対比的な映像は30年過ぎても悲劇的なものがある。コンマスやホルンの馴染み深い顔が浮かぶ。サロネンはN響には二度しか登場しないので、両者喧嘩別れしたに違いない。今でもインターネットで見えるので、この悲劇的名演を見ることが出来る。サロネンの初々しい顔があり、相当生意気だったのであろう。(それでカツンと拒否反応した。)しかし今や巨匠である。
 トスカニーニがウィーン・フィルを指揮した時、思い通りに演奏しないので捨て腐り、オーケストラも放棄したいが最後まで演奏しなければならない義務で終わった。終わると空前の拍手に気を良くするトスカニーニはオーケストラに立脚を求める。コンマスのロゼーは頑として体たらくな演奏に恥じて応じないで座り続ける。(だから迷演とは限らない)


ヘーゲルは悲劇とは二つの正義が両立することであると言う。正義は一つとは限らないらしいのだ。こういう合致しない演奏は悪いのかというと、攻めぎ合いによって名演になるということがあるようだ。(両者に正義があり、そのまま生かすしかな。統一の天才ヘーゲルが統一させない対立のままが良いと言うのだ。)


サロネンに共感も共鳴もしないN響はだだ義務で演奏しているだけだが、その義務感だけの演奏が名演になっている。巨匠メータの指揮で演奏出来てうれしいという共感が、慣れ合いという実に嫌らしい演奏になることだってある。


この曲は結構難しい音楽で決定盤がない。バーンスタイン・ウィーン・フィル、チェリビダッケ・ミュンヘン・フィルがいい。チェリビダッケの影響を受けたのがエッシェンバッハ・NDRエルプフィルで、これが今のとこれ最高峰だが、ライブだけだろう。下野竜也・N響は第二楽章に美しい物があった。(2021・3・17)


第二楽章。
92小節のフルートで、poco rit.と楽譜通りに演奏してしているのが唯一下野竜也だ。

本来はこの指定は92小節全体に掛かっているのだろうが、下野竜也は後半にテンポを落として演奏させた。創見であろう。


115-118小節のホルンである。
下野竜也は3つの音符にp・f・pといったニュアンスの振り分けをして独特の演奏をさせたのである。

バーンスタイン・ウィーン・フィルは、ラレンタンド(テンポを落とす)を二回おこなった。


これは両者それぞれに異なった見解があるわけで、テンポで色分けするか音色で色分けするかという思想の問題であろう。


それにしてもエッシェンバッハの演奏の巧みさは抜群で、CDになっていないことを惜しむのである。