パスカルの葦笛のブログ

クラシック音楽のテレビやFMの放送からその演奏を視覚(楽譜)で再現します。後から読むだけでどんな演奏だったか理解出来ます。

クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団ベートーベン交響曲全集1970年

1970年のクレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管のベートーベン・チクルス


とうとう1970年におこなられたクレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団によるベートーベン交響曲全曲演奏会の記録を入手した。


一段とテンポが落ち、それでも演奏が破綻しないところが、この演奏のミソである。限りなくゆるい演奏が何ともいえない魅力になっている。どうしてこんな遅い演奏をしていて演奏が崩壊しないのか。それはオーケストラの技術が超絶技巧を持っているからだ。弦楽器が見事な運弓法で統一しているのが不思議なくらいだ。バラバラになってもいい。


1960年がクレンペラーの音楽人生の頂点にあるとは揺るぎないところだ。
柳家小さんが名人というのは頂点に達したら下降線を少しでも長持ちさせることにあるという。そこからすると10年後は下降線でしかないが、3ミリは高くなっている。この人は頂点をさらに向上している。その証明が1970年のベートーベン・チクルスだ。


さて、1960年のクレンペラーの絶頂期はウィーンでのベートーベン・チクルスであった。ムジークフェラインザールはその会場で、エグモント序曲のリハーサルの記録がある。


 「ボーイングが違うではないか」と激怒している。


ベートーベン「エグモント」序曲、第一バイオリンのクレンペラー独特の運弓法。


運弓法は本来オーケストラに任せられていて、オーケストラは合理的な容易な手順を選択する。


クレンペラーはあえて困難な運弓法を要求し、オーケストラが応えられない。難しい人生を選んだクレンペラーは、音楽にも難しく演奏させるのだ。これがベートーベン演奏の真骨頂であった。困難を克服しないと生まれない音楽こそベートーベンなのだ。


クレンペラーはオペラも録音し、何度もハンス・ホッターを起用した。そこへホッターは15才の娘を見学させた。現場に入って来たクレンペラーは、不似合いな女性がいることを目撃して睨みつけた。


演奏に加熱するクレンペラーに、ホッターの娘は次第に惹きつけられていった。


録音が終わり、楽屋にホッターは娘を紹介しに行った。
「わたしの娘を紹介します」
「・・・」
クレンペラーは一言も反応しないで、無視した。
「わたしの娘です」
ホッターは再度紹介した。そこでクレンペラーは自分が勘違いしたことに気づいた。
「ホッターが今付き合っているガールフレンドだと思ったよ」


クレンペラーは仕事の現場に浮気相手を連れて来たと思ったのだ。何とゲス野郎か。最低の人間に違いないのだが、それ以上に魅力のある人間なのだ。欠点を帳消し出来るほどの魅力がある。それが1970年のベートーベンにある。