ブルックナー交響曲2番カルロス・カルマー指揮アイルランド国立交響楽団
カルロス・カルマー(1958-)は、ラテン系の名前だが生粋のオーストリア人で、ウィーンに音楽を学んだ人のようだ。第二のカルロス・クライバーといったところか。それは決してはったりではない。この地味な音楽でフィナーレの盛り上げ方はさすがなものだ。
今夜のベストオブクラシックは、カルロス・カルマー指揮アイルランド国立交響楽団でブルックナーの交響曲2番の演奏であった。(2020・1・20)
ブルックナーの2番だが、ある面ではどうにもならない音楽で、過度期中の過度期の音楽だ。まるで中学生が声変わりした頃の身体のようなものである。体は子供なのだが、声は大人である。ブルックナーの本質が現れたが、体がまだ子供で心体がアンバランスになっている。小編成ではブルックナーが表現出来ないでいる。3番はワーグナーの音楽に影響を受けたが、むしろ大編成で表現するところを学んだ。ニ管編成の交響曲ではブルックナーが表現出来ないのだ。3番以降大編成になる。巨大なオーケストラでなければ表現できないことの気づいたのだ。
第四楽章。
387小節でカルマーはリタルランドを掛けたのに注目された。
この解釈にはカルマーの独創をを見ることができよう。
されに注目されたのが、679小節だ。
カラヤンが小沢征爾にブルックナーの2番を進めたという。欧米では演奏されないので、その点では手垢がついていない。誰の物まねにもならないという理由である。
朝比奈隆はここでリタルランドを掛けた。これは彼がブルックナー様式を熟知した証明にもなっている点で、この箇所でリタルランドが掛けられる様式性があるので、伝統のなお2番であえて伝統的な解釈を試みたわけである。
679小節で朝比奈は独自の考えでそう判断した。
カルマーが朝比奈と同じリタルランドを掛けたのである。
おそらくヨーロッパ人が日本人の物まねをしたということは稀有であろう。そして解釈の伝統が生まれたのである。そういう伝統を日本人が作ったというのは凄い話だ。
カルマーの終結部がまた凄かった。
カルマーは、688小節で一度ダイナミクスをpに絞って、692,693小節のトランペットの第1拍にアクセントを付けて、701小節のテインパニの後半にクレッシェンドを掛けて終わった。
最後の最後まで工夫を凝らしたわけである。
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