シューベルト交響曲8番鈴木雅明指揮東京交響楽団
日本人指揮者としては、第一楽章201小節のホルンの自筆譜からの再現は初めてではなかろうか。アバドが自筆譜から再現した新全集版の演奏はCDになって久しいわけだが、あまり踏襲されていない。そこが聞きものだろう。ついでに言うと、あのフルトベングラーが1942年に既に再現していて201-202小節まで延々とホルンが延されている。つまりフルトベングラーは当時からシューベルトの自筆譜を見ているわけである。これなども敬服の値する行為で、50年以上我われは怠慢をしていたわけだ。余談だがスワロフスキーが来日してN響と演奏した時、何とウィーンからこの自筆譜を持参して東京のホテルで研さんしていたそうだ。勿論持ち出し禁止図書のはずだが、大先生に苦言を呈する人がいなかった。飛行機が墜落したら海に消えるわけだ。今の森元総理に文句が言えないのと同じ。
今夜は、鈴木雅明指揮東京交響楽団でシューベルト交響曲8番の演奏であった。(2020・12・5)
第一楽章。
61小節以下、一般的にはオーボエが旋律線を演奏するので、そのメロディーが強く聞こえる算段になっている。他方第一バイオリンが伴奏を受け持っていて、これを強調したのがヨゼフ・クリップス(VSO)である。ある面では対位法と言ってもいいのかも知れない。そこで古楽器の大家鈴木もこの対位法的処理にぞっこんでクリップスを踏襲したようだ。
これはクリップスといい鈴木といいなかなか良かった。
一番評価したいのが、201小節ホルンの後半で、202小節前半までシューベルトの自筆譜には音符が書かれているのが新全集版で判明した。ところが既に新全集版以前にフルトベングラーが再現しているわけだ。アバドの演奏で我々は初めて聞くわけだが、1942年すでにフルトベングラーが新全集版で演奏している、というわけだ。
意外に世間では新全集版を採用しないのだ。その数少ない実践者が鈴木というわけだ。
第二楽章。
14小節のオーボエの後半でpにして演奏させていた。
90-92小節の低弦を強調したのも特徴的であった。
ここはアバド(ヨーロッパ室内管)の演奏の影響を鈴木は受けたようだ。
第四楽章。
驚くべきは最後の終結部の処理であった。
楽譜にはディミヌエンド記号が書かれてあるが、あえて鈴木は正反対のクレッシェンドで終わらせたのである。
クレッシェンドで終わらせたのは鈴木が唯一ではあるまいか。
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