ブラームス第二番は「こうもり」序曲より軽かったウェス指揮NHK交響楽団
ブラームスの交響曲第二番の演奏はヨハン・シュトラウスの「こうもり」序曲の演奏よりも軽かったウェス指揮NHK交響楽団の演奏であった。これは同曲を指揮したカイルベルト以下の人と見なされたはずだ。
そこで思い出したのが、ウェス晩年ウィーン交響楽団での同曲の演奏だ。ウェス(1914-1987)は30年間変わらない演奏を堅持した。彼の指揮者生活の没落はこの時に決定されていたのだ。フルベン没後ウィーン・フィルの後任をクーベリックと争った俊英は何故没落したか。
今夜のNHKFMのN響ザレジェンドは、クルト・ウェスの演奏であった。(1952・1・12)
ウェスとヨハン・シュトラウスとの縁は恩師ワインガルトナー(ヨハン・シュトラウス協会会長)以来の結びつきだが、ウィーン子の意地もある。地元の癖のある演奏は彼こその味であるかも知れない。
ヨハン・シュトラウスの歌劇「こうもり」序曲は、例によってクレメンス・クラウスとも違った味を出していた。
66小節の2拍からクラウスはfのなるのだか、ウェスは1拍からfにしている。地元のトイフェルの演奏はクラウス踏襲だが、ここはウェスの味を出している。そして後続でテインパニが出てくるが、ウェスはテヌートで如何にも引きずった感を出した。この味は独特である。
さらに83、84小節で、テンポが極端に落とされる(リテヌート)が、これは全くウィーン子の血肉の習性で、クラウスやウェス云々ではなく、全員がやる伝統である。
また121小節のチェロでリテヌート(テンポが落とされる)のが所為ウィーンの味になっている。
面白いのはトイヘルで、3小節前でもデクレッシェンド記号の所でリタルランドを掛けている。クラウスもウェスもたっぷり121小節でリテヌートしている。
220小節のpoco rit.記号の所で、ウェスは楽譜通りにしている。
288、296小節でも定まりのテンポを落としていたのがクラウスとウェスだ。
これが所為ウィーン子のウィーンナーワルツの味であることは言をまたない。
さてウェスは何故こういう作為をブラームスでは施さなかったのか。端正な演奏をブラームスではやりたいという錯覚が、彼の没落を招いたようだ。「皇帝」の伴奏は屈指の名演だった。キーゼキングと互角の勝負をなしえたのに、それは決して端正な演奏ではなかったのに、残念でならない。
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